百姓を目指す長野移住日記

自分の心がワクワクする方が人生の行くべき方向と信じて、14年間のサラリーマン生活に終止符をうち、横浜から長野県飯島町へ夫婦で移住!ゆるい百姓を目指す日々の日記。

飯島城

【移住・飯島町days】

移住に関わる話と、飯島町に引っ越してきてからのなんてことない素朴な毎日の記録のカテゴリー。

【日本の城】

城めぐりに一時はまって、47都道府県巡りとなるべく組み合わせて訪ね歩いた記録のカテゴリー。しかしながらこちらも結婚を機にブレーキがかかってしまい、御無沙汰気味である。

 

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飯島町にはお城があるのです!!
お城というと、大体の人が天守閣(立派な建物)を想像するかと思いますが、城の役割とはそもそも戦の際に使う砦の役割を果たすところなので、必ずしも立派な建物があるわけではありません。立派な建物があるお城は、戦国時代より後に権力の象徴として建てられた色の方が強いかと思われます。
なので、城とは戦で戦うための設備なので、土塁や堀など戦に有利になるような地づくりがなされております。

飯島城址には建物や石垣はありません。

飯島城は築城年ははっきりしていませんが、鎌倉時代に片桐氏の支流として飯島氏がこの地に最初に住み着いたのではないかとのことです。

 
今は個々の私有地になっているので、畑や田んぼ、山林になっていて、三日月堀(武田氏の城によくみられる堀とのこと。飯島氏は武田信玄に仕えていた。)もなくなってしまっていたりと、元の姿がほとんど分からないようになってしまっています。
しかし面影残る土塁は上伊那一の大きさを誇り、大きな堀跡が数か所、段々になった丘陵形式の平山城はかなり規模が大きくて興味深いと思われます。

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★ヒノキ林になっておりますが、堀です。

このお城が戦で使われたことはなく、有事の際の備蓄庫などがあったそうです。
城跡を辿る前に、飯島城主(飯島氏の子孫)さんから直接お話を聞く機会があり、飯島氏の発祥から今に至るまでの流れを系譜図や様々な資料をもとにご説明頂きました。
この城主さんがとても博識な方で、先祖代々の古文書を全て自分で解読して書き起こしていたり、ご自分で執筆をされていたり、後世にきちんとした飯島氏の歴史を残そうとご尽力されていました。
大変貴重なお話を聞けました。自分の住む町の歴史を知れるということは素晴らしいことです。

ちなみに全国の飯島姓の発祥はここ飯島町と言われているそうですよ。
なかなか当時の城跡をしのびながら歩くには、かなりジャングルになっているので難しいかもしれませんが、お城好きな方、飯島姓の方、三沢家、武田家、井伊家(飯島氏縁の武家)好きな方は一度来てみるといいかもしれません。

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10月9日ブログを更新しました。